“ロープアクセス調査専門企業日本空糸株式会社”

多様性と持続可能性その2

そういえば多様性の話を書いていなかった...


全体最適と全体主義

ふたつの言葉に差はあるだろうか。

全体最適

全体最適は手元の辞書では出てこなかった。
https://boxil.jp/mag/a7009/
によると以下のように解説されている。

全体最適とは、英語ではTotal Optimizationといい、経営について説明する際によく使われる用語で「組織全体として最適な状態」のことを指します。

全体主義

全体主義を辞書で引くと以下のような記述になっている。

① 個人は全体を構成する部分であるとし,個人の一切の活動は,全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。国家・民族を優先し,個人の自由・権利は無視される。 →個人主義
② 〔wholism〕クワインに代表される哲学的立場。各命題の真偽は他の命題とは独立に決定するという立場に対し,すべての命題の真偽は理論全体の中で決定するという立場。ホーリズム。

以上を踏まえて

全体最適と全体主義は違うと捉えている。
(調べて初めて知ったが...Total Optimizationが全体最適って正直誤訳な感じがする。)

社内は、社員全員が自分の能力を発揮できる居場所を見つけ、心身ともにパフォーマンス高く仕事に取り組める雰囲気であるというのが望ましいと考えている。個人の自由・権利までを制限する必要は無いと考えている。個人の自由・権利までを制限すればパフォーマンスが下がると考えているからだ。

ただし、チームとして取り組んでいる以上、要所要所で力のベクトルを揃えて壁を壊していくことは必須。
ふわふわと漂っていた白血球が、病原体侵入に合わせて集結し、撃退するようなイメージだろうか。普段はそれぞれの持場を持っていて構わないし、個人ごとのテーマや研究があってよい。


壁を壊す(課題を解決する)ということが、組織を組む共通の目標であれば、力のベクトルを揃えるということは、つまり力の強いものは力を出すことかもしれないし、声のあるものは人を集めることかもしれないし、全体を見る力のあるものは全体を見、知恵のあるものは知恵を出し、ということかもしれない。

これを「私ばかり力をだしている」と不公平に感じる瞬間が人間にはあるものだし、自分には少なからずそういう時がある。そしてそういうとき自分の格の低さを私は痛感する。


再度になるが
課題解決を素早く、力強く行っていくということが組織を組む最大の理由である。


問題がひとつある。
全体最適を目指すと、全体主義に傾倒する人が出てくるのだ。
これは社内の空気感として、うまいこと醸成していかないといけない。


多様性

多様性を目標とすると組織はおかしくなると友人が言っていた。その通りだと思う。
多様性は目標ではなく、過程である。

未来は正確には予測できない。未知のものに取り組むには、数が必要だ。
(ある程度の推察ができた時点で実験し、駄目なら捨てる&未想定部分を回収し再度推察するというステップが欠かないし、それには数を打たねばならない。)

そのために各々が工夫して取り組んだ結果、「多様性」という状態を経由する。
現在前提としていたシステムが天変地異で崩れれば、次に構築されるシステムに偶然適応できる個体が生き残る。生存戦略は数、しかし生き残るかどうかは運。生き残った方法が全体に行き渡り、次の世代は別の多様性を内包する。

社内における多様性とはなんだろう。

全体最適の前提には多様性が必要である。ただし、手法や技法が万人向けに構築できた時点で、その多様性は失われて良い(標準化という)。
各々の工夫を持って進んだ結果、一番良いと思われるものを標準化し全体に行き渡らせる。現在作成を勧めている成長シートはそういう原理で動いていると理解した。

標準化は陳腐化とは違う。
標準を更新し続ければよいだけである。

標準化は、ある程度の仕様が決まっていることが普通である。つまり、前提条件が必要なのだ。


ちなみに前提条件なく構築された標準化は意味をなさない。


いまの日本空糸は、得手不得手、個体差を加味した状況に向かっているだろうか。
そうでない面がまだまだ残っている。

個々の能動的な努力は必須。
ただし、その能動性を発揮できるレベルまで社内標準・ノウハウを伝え、次の世代に引き渡していく努力が欠かせない。

馬を水辺に連れて行く事はできても、水を飲ませることは出来ない。
しかし、それでも水辺を用意し案内し、人が集まるように日々継続しなければいけない。それが経営者の役割なんだと思う。

人と分野の組み合わせにより、どうしても得手不得手や強い弱いが出てくるものの、標準化という側面でそれを捉えた場合、弱い部分に着目するというのは組織を強くするはずである。
ボトルネックがどこに現れるか?嫌な位置に表出しているとすれば、それは設計や配置上の問題である。フローの中のボトルネックであるという事自体は本人の責任ではない(ボトルネックは必ず発生するもので、どこに置くかは計画段階で組み込まれるべき内容なので)。

継続的に、自身の能力開発に向き合ってもらうにはどうしたら良いだろう。


「本当の得手不得手は、やってみてから分かる。ただしほとんどの場合で、統計の中央値(つまり平均)は学習により容易に突破できる。」
というのが代表・副代表の持論だ。しかしこれにはどうしても学習のノウハウ...知識の体系化やメタ認知、抽象化が欠かせない。このノウハウを持っている自負はある。これを伝えていかないといけない。


「教育」の重要さを痛感する毎日だ(教育も成長シートには欠かせない部分だ)。


弱い部分を持っているひとは、別のどこかが強い。
どこがか強いひとは、どこかが弱い。
だから、組織として弱い部分に着目してシステムを組んでいく。そうすれば、冗長性が増す。


精神論ではなく、機能性として捉えてみたら伝わるだろうか。



Posted by norimitsu.i at 3:52 日時 2021/03/20

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