日本空糸の価値提供の中心は、
「到達不可能点への到達」と「そこにおける業務遂行」
です。
私は、父に「一関は農家の街だ」と言われて育ちました。そのとおりだな、と思いながら、日々を過ごしています。
林業というほどの林業には携わっていませんでしたが、小学生のころからナタを持たされ山中で枝打ちをしたり、伐採した木を搬出し、薪割りをしたりして過ごしました。実家は馬喰ですが、父は牛を調教して、材の搬出のアルバイトをしていたそうです。
SDGsが叫ばれる世の中、住環境の改善と屋敷林・放置林問題をどうにかつなげて考えられないかと思案しています。
これは持論ですが...
ロープ高所作業は、必ず二足のわらじを履くことになる業務です。
ロープを使って自分とそのチームの命を維持しつつ、本来の作業を行うからです。本来の作業に精通しつつ、ロープワークを両立させることはとても難しいことです。
日本空糸は、オンロープ技術のプロ集団でありたいと思う一方で、本来の作業に関しても精通したいと考えています。しかし実際には、餅は餅屋、本職にはかなわないことは多いものです。
現在は、チームを、オンロープ技術のプロ集団として育て、かつ適宜本職の人とやりとりをしながら業務全体を仕上げるという状態が安定的にできるところを維持、その後により専門的に発展させていくものと感じています。
樹木事業に関しては、支障木剪定や災害復旧に寄与したいと思う一方で、人間のエゴだけでない、植物側の事情も加味した仕事にしなければやる意味が無い。と着手前から思っていました。
人間側のエゴだけで推し進める政策は、必ず自然の反感を買い、人間に返ってくるからです。これは宗教的な話ではなく、自然科学的な話のつもりで書いています。
「家にかかる枝が怖い」
最近、よく耳にします。
でも、樹木は自身の"安定"のために、枝を伸ばしたはずです。人間の都合だけで、手足を切り落として、それは新たな脅威を生むことにならないのでしょうか。
人間のエゴを押し付けた結果、立ち枯れた樹木が倒木してくる...それこそ悲劇ではないだろうかと。
樹木のことを理解せねば、より良い提案は出来ないな...と勉強するほどに実感します。斜面安定のことも考えれば、土木工学的な知見も必要です。
たとえば
- 枝打ちをしても、落ち葉の量は減らない(伸ばしに伸ばした枝を強剪定していくことは持続可能なのか?)。
- 広葉樹は、斜面上に根を広げる(広葉樹上方に街路を設けることは持続可能なのか?)。
- 幹に対しての栄養供給は、その上方にある枝葉からの供給(先端に枝を残さない剪定には意味はあるのか?持続可能なのか?)。
など、基本的なことを学ぶだけでも、見方はガラリと変わりました。
勉強するべきことは尽きません。
逐次勉強しつつ、アドバイスをもらいつつ業務としてどのように展開していくかの模索をしています。
色々なひとに助けられながら、日本空糸という組織を成り立たせて頂いているな、と日々実感します。
Posted by norimitsu.i at 9:15 日時 2021/03/07
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